昭和52年に発掘調査によって発見されました。天正の兵火で焼失した後再建されず、地中に埋もれたままでした。周辺から焼けただれた木材、灰などが出土し、礎石に見られる生々しい焼痕が、当時の火災のすさまじさを物語っています。石動山の本山であった京都勧修寺(かじゅうじ)の文書には、応永23年(1416)に、建立にあたり同寺別当職の慈尊院実順(じそんいんじつじゅん)が導師を勤めて塔供養が行われたと記されています。